Antwerpの最近のブログ記事
2004/06/03
マルクト広場(Grote Markt)。
さまざもな形のギルドハウスで取り囲まれている広場は、中央には有名な「ブラボーの噴水」を配し、西側には華麗な市庁舎が建っている。池には囲いなど無く、巨大な手首を投げようとしている像からは、常に水が湧き出ている。
グローテ・マルクト Grote Markt :
アントワープの中心にある広場であり、まわりを取り囲んだ市庁舎やギルドハウスの景観は圧巻である。
市庁舎Stadhuisは1561年から1564年にかけて建造されたルネサンス様式の建物。 中心には1887年のジェフ・ランボー作のブラボー像の噴水がある。
ブラボーBraboとは、ブラバントという名の紀元となった古代ローマの兵士の名で、スヘルデ川で暴威をふるっていた巨人アンティゴーンの手(ant)を切り取って投げた(werpen)という伝説に登場する英雄。この伝説が、アントウェルペン(Antwerpen)という地名の由来と伝えられている。
(観光局ガイド)
▼市庁舎とブラボーの噴水

マルクト広場(Grote Markt)。
さまざもな形のギルドハウスで取り囲まれている広場は、中央には有名な「ブラボーの噴水」を配し、西側には華麗な市庁舎が建っている。池には囲いなど無く、巨大な手首を投げようとしている像からは、常に水が湧き出ている。
グローテ・マルクト Grote Markt :
アントワープの中心にある広場であり、まわりを取り囲んだ市庁舎やギルドハウスの景観は圧巻である。
市庁舎Stadhuisは1561年から1564年にかけて建造されたルネサンス様式の建物。 中心には1887年のジェフ・ランボー作のブラボー像の噴水がある。
ブラボーBraboとは、ブラバントという名の紀元となった古代ローマの兵士の名で、スヘルデ川で暴威をふるっていた巨人アンティゴーンの手(ant)を切り取って投げた(werpen)という伝説に登場する英雄。この伝説が、アントウェルペン(Antwerpen)という地名の由来と伝えられている。
(観光局ガイド)
▼市庁舎とブラボーの噴水

2004/06/03
大聖堂の中を拝観する。 拝観料は€2。(別途寄付をすることも可)
中に入るとゴシック様式らしい荘厳な調度品に圧倒される。 厳かな雰囲気にのまれて自然に言葉もでなくなってしまう。
▼ノートルダム大聖堂
▼

▼ ピーテル・パウル・ルーベンス 「キリスト昇架(Raising of the Cross)」 (1610-1611年)
▼ ピーテル・パウル・ルーベンス 「キリスト降架 (Descent from the Cross)」 (1611-1614年)
▼ゴシック様式らしい身廊

▼祭壇

大聖堂の中を拝観する。 拝観料は€2。(別途寄付をすることも可)
中に入るとゴシック様式らしい荘厳な調度品に圧倒される。 厳かな雰囲気にのまれて自然に言葉もでなくなってしまう。
▼ノートルダム大聖堂

▼

▼ ピーテル・パウル・ルーベンス 「キリスト昇架(Raising of the Cross)」 (1610-1611年)

▼ ピーテル・パウル・ルーベンス 「キリスト降架 (Descent from the Cross)」 (1611-1614年)

▼ゴシック様式らしい身廊

▼祭壇

2004/06/03
■ノートルダム大聖堂 (Onze-Lieve-Vrouwe kathedraal)
ネロがいつも「マリア様」に祈っていた場所、そして最後に息絶える前に「ルーベンスの絵」を見ることができた場所が、アントワープのノートルダム大聖堂である。
(ノートル=私たちの、ダム=貴婦人 つまり、聖母マリア様を祀る大聖堂ということ)
1352 年に建造が開始され、1520年に完成したネーデルラント地方最大のゴシック教会堂。47個の組鐘を蔵し、123mの高さを誇る北鐘塔は、ベルギーにただ 2つしかないブラバントゴシック様式の完全な塔の一例だそうである(もう一つはブリュッセル市庁舎)。 南鐘塔は資金不足のため未完のまま断念された。1559 年からは司教座がおかれてカテドラルと呼ばれている。堂内には「キリスト降架」、「キリスト磔刑図」、「聖母被昇天」、「キリスト復活」など、ルーベンスの数々の傑作がある。
(観光局ガイドより)

フランダースの犬(原題:A Dog of Flanders)は、イギリスの女流作家ウィーダ(Ouida)の書いた童話である。
物語の舞台はベルギー北部のフランダース(フランドル)地方。 主人公ネロたちが生活した村のモデルとなったのは、アントワープの南西にあるホーボーケン(Hoboken)であったと現在では考えられている。 1872年に刊行され、日本でも1952年に翻訳されているが、名作として親しまれるようになったのは、世界名作劇場(フジテレビ)でアニメ化されて以来と思われる。
作者ウィーダがこの作品を執筆した頃、ホーボーケンにはまだ風車が残っていた。アロアのモデルと思しき女の子がいたことも確認されているとのことである。 アニメのおかげで、かつては現地よりも日本でのほうが知名度が高かったこの物語ではあるが、今では「ネロとパラトラッシュの銅像」が立つほど広く知られている。
※1986年にホーボーケンにネロとパトラッシュの銅像が建てられた。また、2003年にはアントワープ・ノートルダム大聖堂前の広場に記念碑が設置された。この背景には、日本人観光客からの問い合わせが多いという事実もあったようだ。
「フランダースの犬」 あらすじ:
フランダース地方の小さな村に住む少年ネロは、祖父や老犬パトラッシュと共に暮らし、ルーベンスのような画家になることを夢見ていた。 しかし、祖父の死後、村の風車小屋が焼けた火事の放火犯との疑いをかけられたことで、村から彼の居場所は失われてしまう。 賞金が出る絵画コンクールの審査発表を待つネロだったが、コンクールでは彼の絵は落選であった。
凍てつくクリスマスイブの晩、住むところも希望も失ったネロは、疲れ果ててこの大聖堂にやってきた。。。すると、普段はカーテンで閉ざされているこの絵のカーテンが、その晩に限って開いていた。 薄暗い大聖堂の中でも、ステンドグラスから漏れる月の光に照らされて、はっきりと絵を見ることができたのである。 その頃村ではネロに対する誤解は解け、更に彼の才能を認めたコンクールの審査員がネロを引き取ろうと訪れていたのだが、全ては手遅れであった。
「一度でいいからこのルーベンスの絵をみてみたい」。。。。 ついに夢をかなえたネロは、この絵の前で満足そうに、そして安らかに、愛犬のパトラッシュと共に永遠の眠りについたのである。
▼ノートルダム大聖堂前広場にある 「フランダースの犬」記念碑 ※日本語で書かれている
▼ノートルダム大聖堂前広場

▼大聖堂内

▼大聖堂内
▼大聖堂内から見上げる
■ノートルダム大聖堂 (Onze-Lieve-Vrouwe kathedraal)
ネロがいつも「マリア様」に祈っていた場所、そして最後に息絶える前に「ルーベンスの絵」を見ることができた場所が、アントワープのノートルダム大聖堂である。
(ノートル=私たちの、ダム=貴婦人 つまり、聖母マリア様を祀る大聖堂ということ)
1352 年に建造が開始され、1520年に完成したネーデルラント地方最大のゴシック教会堂。47個の組鐘を蔵し、123mの高さを誇る北鐘塔は、ベルギーにただ 2つしかないブラバントゴシック様式の完全な塔の一例だそうである(もう一つはブリュッセル市庁舎)。 南鐘塔は資金不足のため未完のまま断念された。1559 年からは司教座がおかれてカテドラルと呼ばれている。堂内には「キリスト降架」、「キリスト磔刑図」、「聖母被昇天」、「キリスト復活」など、ルーベンスの数々の傑作がある。
(観光局ガイドより)
フランダースの犬(原題:A Dog of Flanders)は、イギリスの女流作家ウィーダ(Ouida)の書いた童話である。
物語の舞台はベルギー北部のフランダース(フランドル)地方。 主人公ネロたちが生活した村のモデルとなったのは、アントワープの南西にあるホーボーケン(Hoboken)であったと現在では考えられている。 1872年に刊行され、日本でも1952年に翻訳されているが、名作として親しまれるようになったのは、世界名作劇場(フジテレビ)でアニメ化されて以来と思われる。
作者ウィーダがこの作品を執筆した頃、ホーボーケンにはまだ風車が残っていた。アロアのモデルと思しき女の子がいたことも確認されているとのことである。 アニメのおかげで、かつては現地よりも日本でのほうが知名度が高かったこの物語ではあるが、今では「ネロとパラトラッシュの銅像」が立つほど広く知られている。
※1986年にホーボーケンにネロとパトラッシュの銅像が建てられた。また、2003年にはアントワープ・ノートルダム大聖堂前の広場に記念碑が設置された。この背景には、日本人観光客からの問い合わせが多いという事実もあったようだ。
「フランダースの犬」 あらすじ:
フランダース地方の小さな村に住む少年ネロは、祖父や老犬パトラッシュと共に暮らし、ルーベンスのような画家になることを夢見ていた。 しかし、祖父の死後、村の風車小屋が焼けた火事の放火犯との疑いをかけられたことで、村から彼の居場所は失われてしまう。 賞金が出る絵画コンクールの審査発表を待つネロだったが、コンクールでは彼の絵は落選であった。
凍てつくクリスマスイブの晩、住むところも希望も失ったネロは、疲れ果ててこの大聖堂にやってきた。。。すると、普段はカーテンで閉ざされているこの絵のカーテンが、その晩に限って開いていた。 薄暗い大聖堂の中でも、ステンドグラスから漏れる月の光に照らされて、はっきりと絵を見ることができたのである。 その頃村ではネロに対する誤解は解け、更に彼の才能を認めたコンクールの審査員がネロを引き取ろうと訪れていたのだが、全ては手遅れであった。
「一度でいいからこのルーベンスの絵をみてみたい」。。。。 ついに夢をかなえたネロは、この絵の前で満足そうに、そして安らかに、愛犬のパトラッシュと共に永遠の眠りについたのである。
▼ノートルダム大聖堂前広場にある 「フランダースの犬」記念碑 ※日本語で書かれている

▼ノートルダム大聖堂前広場

▼大聖堂内

▼大聖堂内

▼大聖堂内から見上げる
2004/06/04
■ステーン国立海洋博物館
National Scheepvaartmuseum Steen
アントワープ港付近、スヘルデ川河畔にあるステーン城は、元は海から攻撃してくる敵から町を守るのが本来の目的で建てられた。 「ステーン(Steen) 」とは石(Stone)のことである。 13世紀初頭、ほとんどの家が木造であった時代に石でつくられた城郭は、おそらくは街を取り囲む要塞の一部だと考えられている。 1520年、カール5世によって拡張され、1549年に市の所有となってからは、1823年まで牢獄(ろうごく)として使用された。 1952年からは国立海洋博物館として、各種の帆船、汽船の模型や、航海用具、海図などが展示されている。
城の入り口には"Lange Wapper"と呼ばれる大男の像がある。 酔っ払いや子供たちにいたずらをする、伝説の人物だそうな。
▼National Scheepvaartmuseum Steen と Lange Wapper

▼スヘルデ川

▼スヘルデ川沿いからも、ノートルダム大聖堂を臨むことができる

■ステーン国立海洋博物館
National Scheepvaartmuseum Steen
アントワープ港付近、スヘルデ川河畔にあるステーン城は、元は海から攻撃してくる敵から町を守るのが本来の目的で建てられた。 「ステーン(Steen) 」とは石(Stone)のことである。 13世紀初頭、ほとんどの家が木造であった時代に石でつくられた城郭は、おそらくは街を取り囲む要塞の一部だと考えられている。 1520年、カール5世によって拡張され、1549年に市の所有となってからは、1823年まで牢獄(ろうごく)として使用された。 1952年からは国立海洋博物館として、各種の帆船、汽船の模型や、航海用具、海図などが展示されている。
城の入り口には"Lange Wapper"と呼ばれる大男の像がある。 酔っ払いや子供たちにいたずらをする、伝説の人物だそうな。
▼National Scheepvaartmuseum Steen と Lange Wapper

▼スヘルデ川

▼スヘルデ川沿いからも、ノートルダム大聖堂を臨むことができる

2004/06/03
■アントワープ Antwerpen(蘭) Antwerp(英)
ブリュッセルから、IC(急行列車)アントワープ行きに乗って40分程度。 ICは1時間に2本程度と頻繁にでている。(時刻表は駅に行けば掲示されている)
▼Antwerp Central Staion

▼Antwerp Central Staion

▼Antwerp Central Staion

▼Antwerp Central Staion

▼Antwerp Central Staion

■アントワープ Antwerpen(蘭) Antwerp(英)
ブリュッセルから、IC(急行列車)アントワープ行きに乗って40分程度。 ICは1時間に2本程度と頻繁にでている。(時刻表は駅に行けば掲示されている)
▼Antwerp Central Staion

▼Antwerp Central Staion

▼Antwerp Central Staion

▼Antwerp Central Staion

▼Antwerp Central Staion

2004/06/03
■アントワープ Antwerpen(蘭) Antwerp(英)
ブリュッセルから、IC(急行列車)アントワープ行きに乗って40分程度。 ICは1時間に2本程度と頻繁にでている。(時刻表は駅に行けば掲示されている)
アントワープ古く中世から交易で栄えた町である。 15世紀後半にブルージュを追い越してフランドルの毛織物交易の中心地となり、さらに16世紀にはスペインやポルトガルが植民地から仕入れた品物をさばいたことで盛をきわめた。 一時スペイン領となって衰えたものの、現在は活気ある臨海工業地帯として、バロック芸術の花開いた芸術の都として、ダイヤモンド流通の町として、そしてファッションの町としても国際的に知られるところである。
日本人には、名作「フランダースの犬」の舞台となった町としてとくに有名である。 ところでこの「フランダースの犬」、地元ではあまり有名な物語というわけではなかったそうだ。放送終了後しばらくしてから、日本からの問い合わせがあもりに多いのを不思議がった地元観光局が調べてはじめて、日本というはるか遠くの国で、アントワープを舞台にしたアニメが放送されたことによるものであることを知った・・・・・ということのようだ。
中央駅 Central Station
1895年から1905年の世紀の変わり目に建造されたネオバロック様式の大建築で、アントワープを代表するランドマークの一つです。ガラスと鉄骨で築かれた半円筒形のホーム天蓋はベルギーを代表する近代建築の傑作の一つです。かつての一等客待合室は現在雰囲気あふれる素敵なカフェになっています。
(観光局ガイド)
▼Antwerp Central Station

マルクト広場やノートルダム大聖堂のある旧市街へは、中央駅からは、徒歩だと30分ぐらいかかる。 プレメトロ(地下鉄)でフルン広場(GROEN PLAATS)までいけばそこから徒歩2分程度だそうであるが、歩行者天国のショッピングストリート「メール通り(Meir Street)」を通って徒歩で行く。
▼メール通り(Meir Street)

▼フルン広場(GROEN PLAATS)

▼メール通りを歩いていると、ノートルダム大聖堂が見えてくる
■アントワープ Antwerpen(蘭) Antwerp(英)
ブリュッセルから、IC(急行列車)アントワープ行きに乗って40分程度。 ICは1時間に2本程度と頻繁にでている。(時刻表は駅に行けば掲示されている)
アントワープ古く中世から交易で栄えた町である。 15世紀後半にブルージュを追い越してフランドルの毛織物交易の中心地となり、さらに16世紀にはスペインやポルトガルが植民地から仕入れた品物をさばいたことで盛をきわめた。 一時スペイン領となって衰えたものの、現在は活気ある臨海工業地帯として、バロック芸術の花開いた芸術の都として、ダイヤモンド流通の町として、そしてファッションの町としても国際的に知られるところである。
日本人には、名作「フランダースの犬」の舞台となった町としてとくに有名である。 ところでこの「フランダースの犬」、地元ではあまり有名な物語というわけではなかったそうだ。放送終了後しばらくしてから、日本からの問い合わせがあもりに多いのを不思議がった地元観光局が調べてはじめて、日本というはるか遠くの国で、アントワープを舞台にしたアニメが放送されたことによるものであることを知った・・・・・ということのようだ。
中央駅 Central Station
1895年から1905年の世紀の変わり目に建造されたネオバロック様式の大建築で、アントワープを代表するランドマークの一つです。ガラスと鉄骨で築かれた半円筒形のホーム天蓋はベルギーを代表する近代建築の傑作の一つです。かつての一等客待合室は現在雰囲気あふれる素敵なカフェになっています。
(観光局ガイド)
▼Antwerp Central Station

マルクト広場やノートルダム大聖堂のある旧市街へは、中央駅からは、徒歩だと30分ぐらいかかる。 プレメトロ(地下鉄)でフルン広場(GROEN PLAATS)までいけばそこから徒歩2分程度だそうであるが、歩行者天国のショッピングストリート「メール通り(Meir Street)」を通って徒歩で行く。
▼メール通り(Meir Street)

▼フルン広場(GROEN PLAATS)

▼メール通りを歩いていると、ノートルダム大聖堂が見えてくる

